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【戦前J-45カラマズー】

Tonewood

2月12日 ·

 【戦前J-45カラマズー】

1942年カラマズーのギブソン社でJー45が産声を上げた。バック板、サイド板、ネックは最高級のホンジュラスマホガニー単板、トップ板は最高級のジャーマンスプルース単板、塗装はニトロセルロースラッカーによるサンバースト仕上げ。

ジョンケンドリックの両手は35年間木材を扱ったものだけの独自の皺で覆われていた、彼の周りを10人ほどの職人たちが、ケンドリックが抱えているギター を見詰めている。塗装が乾きペグ、ナットやサドルがつけられ、新品の弦も張られている。ケンドリックは履き古したブルージーンズ、長い足を組みそのギター を今にも弾こうとしている。

「ワン、ツー、ワンツースりー!」

始まった、意外!

彼の18番は、静かな「wearyblues」だった。長い足、長い手、大きな手のひら、巨大な体、60歳になろうとしている彼の手からスローなバラッド 風ブルースが流れ、仲間らもゆっくりシャッフルしながら歌う、厚い唇が今までの人生を謳歌する。5分ほど歌うと大きな拍手が起こった。

「やったぜー、ジョンケンドリック、素晴らしいサウンドだ、これなら行けるぜ、このなで肩のデザインがサンバーストとばっちりさ、売れるぜ、なー、皆!」

こうしてポピュラー音楽史上に残る銘記Jー45が誕生した。この1号機はオール単板で作られているがよく見ると、トップ板のスプルースが縁の方で継がれて いる、4枚合わせの状態になっている、その継ぎ目を隠すためにサンバーストしている。そうした理由をケンドリックが説明した。

「今われわれは日本と戦争中よ、楽器用の多くの材木が軍事用に持っていかれちまったのさ、でもよ、最高級の端材がいっぱいあるからよ、それを継げばいいん だよ、サウンドがその継ぎを凌駕してくれればアメリカ人は買ってくれるはずさ、それに、マーチン社でもそうしてるらしいぜ」

ほどなく2号機が完成した。2号機はサイド板が合板になっていた、コストダウンを図ったのだ、しかし素晴らしいサウンドが出た、市場へ出すと大ヒット商品となった。その理由は意外なところにあった。

ケンドリックが言った。

「今は戦争中、需要に答えられるほどの生産台数は無理さ、月産50台ちょっとくらいが限界だな、材料不足の上に、職人の90%を軍に持っていかれたんだ、 これでは多くの生産は望めないだろ、機械は十分に無い、手作りに近い状況、いまは俺たち職人の腕でギターを作っているんだ、軍に徴用されずに残された俺た ちはよ、経験豊かな年配者ばかりなのさ、これがさ、良いんだよ、俺たちは残された良材を効率よく使用するため、オール単板製品、単板と合板を混ぜた製品、 トップ板を4枚継ぎにした製品、トップ板が正規の2枚継ぎの製品、バック板も合板の製品など全てJ-45としてサンバーストして集荷したのさ、だから仕様 が統一されていないJ-45なのさ」

これが今日J-45バーナーマーク入りと呼ばれて残っている。 1942年から1946年くらいまでのJ-45ヘッドにこのバーナーマークが入っているが、この時代の製品はマニアの間で高額で取引されている。この時代 の職人の心意気や技術がそれ以降も受け継がれ1960年台いっぱいの1969年まで素晴らしい楽器が作られた。1947年にJ-50がナチュラルラッカー 塗装されJ-45の高級バージョンとして世にでた。当然、オール無垢板、トップ板は2枚継である。人気はJ-45には負けるが、実力では50の方が上であ る。

ジョンケンドリックは架空の人物で上記のストーリーは私、日比伸也が勝手に想像と一部資料を参考にして書いたものです。

じゃあ、読者の方々は職人の腕とは具体的にどんなことをいってるのか? 知りたくなりますよね、

 J-45 バーナーマークいり 1942年から1946年 今日の再生産工業製品ギターとは比較することがナンセンスな程の高品質な製品です。。

職人の腕とは、 l 職人の腕を論ずるにあたって時代背景を語る必要があります。

l 1945年の終戦前後の時代はまだギター業界に機械と呼べるほどの機械が導入されていませんでした。手の延長のような機械というより道具ばかりでした。 l そんな時代と、今日の機械が楽器を作る時代とは比較することは出来ないのです。 l 例えば、今日のギターの一般ユーザーの方々はそのほとんどの人たちがメーカーと呼ばれる楽器製造会社の製品を使っています。

l 楽器製造会社は時代の変遷とともに合理化という波に飲み込まれ、品質というカテゴリーを維持出来なくなっていきました。競争が激しくなり倒産の嵐が吹き荒 れ、原価管理がしっかり出来ない会社は瞬く間に消えていきました。1984年前後はマーチン社でさえ倒産の声が出ていたのです。 l 良い製品を作るため、コストダウンを図ることをせず、従来の手作りに近い方法で作っていた会社が、倒産の憂き目に会ったのです。なぜでしょうか、良い製品を作っているのに関わらず、倒産してしまうとは、、、。 l それは単価の安い製品が必要とされる時代が来ていたからなのです。それに気づかず、良い製品を作ればまだまだやっていけると踏んだ会社は倒産していったのです。 l 新しいユーザーは音質にはこだわりがあまりなく、音が出れば、それが楽器だと思うのです。そういった新しい人種が誕生していたのです。このことに気づいた会社は彼らの需要に合わせた、安価で音もそこそこの製品を提供していったのです。 l そのために会社は合理化用の機械を貪欲に購入、設備投資し、あまった余剰職人を辞めさせたのです。当然高給を払っていた経験豊かな職人から首にしたのです。後に残ったのは薄給の浅い経験者と臨時日雇いだったのです。 l 合理化に目覚めた会社は薄給の浅い経験者と臨時日雇い(パート、アルバイト含む)だけで楽器が出来るように体制を作ったのです。もうその会社には熟練工は必要ないのです。 l 会社という生き物は拡大再生産を繰り返さないと、元気がなくなり病気になります。そして倒産します。 l 拡大再生産を繰り返えす、という時代が1970年に入って顕著化したのです。その芽生えはすでに戦後からあったのですが、顕在化したのはやはり1970年からです。地球上の先進国が同じようにこの環境変化の波に飲み込まれたのです。 l この1970年という年は楽器に必要な木材の枯渇が全世界に認識され始めた年でもあったのです。楽器を作るには本来楽器用の材木を使用する必要があります。その楽器用の材木を使用すれば楽器とよんではずかしくない製品ができたのです。 l ところが1970年からこの構図が崩れ、合理化とともに材木の枯渇が追い討ちをかけはじめたのです。ワシントン条約がそれです。地球の樹木や生物を絶滅から守る法律です。 l そのため、メーカーは合理化と木材の枯渇の両方から低品質のギターしか出来ないようになったのです。 l 材料の質が落ちれば品質が低下するのは何とかわかる気がするが、機械を使って合理化するとなぜ品質が低下するのか、疑問に持つ方もいます。それにお答えします。

なぜ機械化が進むと楽器は音質が劣化するのか? ● 加工精度が高くなるにつれ、左右対称のシンメトリーが向上する。   人間の耳には聞こえの悪いサウンドになる。 ● 加工精度が高くなるにつれ、楽器内の音の逃げ場がなくなる、その結果、   人間の耳には聞こえの悪いサスティーンが混じったサウンドになる。 ● 加工精度が高くなるにつれ、均一な振動になり、人間の耳には聞こえの悪いサウンドになる。人間は不均質なサウンドを好む。 ● 具体的な箇所   指板とフレットの関係   ネックとボディのジョイント   トップ板 サイド板 バック板が均一な厚み   上記材木の低品質化   力木の接着   全体の接着方法   材質のレベル  材木  塗料  そのほか   職人のレベル   製作場所の多様化

● 次に、上記  具体的な箇所 の説明をします、といいたいのですが、専門書になってしまいます。止めましょう。

【良材とは何か? いつかこのお話をさせてくださいね】

J-45 バナーマーク webより転写


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